押し入れの奥に、埃をかぶったアコギが一本ある。20代の頃、勢いで買った。半年で弦がサビて、それきりだ。理由ははっきりしている。Fコード。あの人差し指で6本の弦を全部押さえる「バレー」で、指の腹が痛くなって、音はビビって、いつの間にか触らなくなった。「才能がなかった」で片づけて、20年が過ぎた。

そんな折に見かけたのが、この InstaChord+ IC-31 だった。斧のような、あるいは変形した電卓のような妙な形。数字ボタンを押すだけでコードが鳴る、という説明を最初は半信半疑で読んだ。楽器がそんなに簡単なわけがない、と。ただ「Fで挫折した人間ほど刺さる」というレビューが妙に引っかかって、結局ポチった。42,900円。安い買い物ではない。

主要スペック

製品名InstaChord+(インスタコードプラス)
型番IC-31
演奏方式KANTANミュージック(コードを度数=数字に置き換えて演奏。国際特許取得)
演奏モードStrum(はじく)/Hit(たたく)/Push(押す強さで音量変化)、メロディフォーム(3オクターブ半)
音色・音源内蔵128音色/フランスDream社製 SAM2695(MIDI接続で音色は無限に拡張可)
対応コードmaj, m, 7, m7, M7, mM7, 6, m6, add9, madd9, sus4, dim7, aug, m7-5, 各種オンコード
機能ルーパー(一人多重録音でバンド演奏)、右手/左手に別楽器を割当
接続3.5mmヘッドフォン/USB-C(充電・USB-MIDI兼用)/Bluetooth LE MIDI(iOS・Mac)
バッテリー3400mAh・動作約10時間・充電約8時間/スピーカー内蔵
サイズ・重量420×210×50mm・660g
受賞iF Design Award 2023/MIDI Innovation Award 2023 Finalist
参考価格42,900円(税込・変動あり)

使って分かった「良かった点」

✓ 良かった点
  • 本当に、触った初日から曲になった。電源を入れ、キーを設定すると、その曲で使うコードが数字ボタンに自動で割り当てられる。あとはコード譜の数字を左手で押さえ、右手でゴムパッドを爪弾くだけ。あのFの絶望が、指1本に置き換わった瞬間、思わず声が出た。20年ぶりに「弾けた」という感覚が戻ってきた。
  • 数字を追ううちに、コード進行が体で分かってくる。ボタンは度数(ディグリー)の並びになっているので、押している場所そのものが理論になっている。「1→5→6m→4」の黄金進行が指の動きで記憶される。挫折の代名詞だった楽器が、いつの間にか作曲の勉強道具になっていた。これは個人的にいちばんの誤算だった。
  • スピーカーとバッテリー内蔵で、どこでも即演奏。660gで電源オン数秒。ソファでも、風呂上がりの寝室でも、ヘッドフォンを挿せば深夜でも弾ける。ギターのように「出すのが億劫」で遠ざかる、あの物理的なハードルがない。約10時間持つので充電を気にする場面もほぼなかった。
  • ルーパーで、一人がバンドになる。ドラムを録って、ベースを重ねて、上にギターを乗せる。IC-31にだけ載っているこの機能で、深夜に一人多重演奏をやり出すと止まらない。右手と左手に別々の楽器を割り当てられるので、シンセとベースの同時演奏みたいな遊びもできる。
  • 数万曲の楽譜が、無料で手に入る。ネットのコード譜を数字に自動変換するアプリがあり、昔の歌謡曲から最新曲まで弾ける。弾きたい曲が「練習曲」じゃなく「好きな曲」なのが続く理由になる。MIDI対応なのでPCにつなげば本格的なDTM入力デバイスにもなる。

正直に言う「注意点」

⚠ 注意点
  • 「右手」は、思ったより奥が深い。コードは左手で解決するが、ストロークやアルペジオのリズム・強弱は自分の右手次第だ。ここは結局ギターと同じで、雑に弾けば雑に鳴る。「誰でも初日に音が出る」のは本当だが、「上手く聞かせる」には相応の反復がいる。ラクして名人にはなれない。
  • 2〜3個の同時押しは、最初つまずく。基本コードはボタン1つだが、複雑なコードやオンコードは指2本の同時押しになる。テンポの速い曲だと押し間違えが出て、慣れるまでは一定の練習が必要だった。ここを「簡単じゃないのか」と感じる人はいると思う。
  • コード譜の変換だけでは、リズム情報が足りない。自動変換は「どのコードか」は教えてくれるが、「どのタイミングで、どんなストロークで弾くか」までは出ない。結局そこは耳コピや自分でタブ譜を書く作業になる。弾き語りを"仕上げる"には、この一手間から逃げられない。
  • ファームウェア更新にPCが要る。本体の進化はアップデートで続いているが、その適用にはWindowsかMacが必要だ。スマホだけで完結させたい人には少し面倒に映るかもしれない。値引きセールをしない価格戦略なので、「安くなったら」を待つ意味もない点は割り切りが要る。

押し入れのギターの隣に、もう一つの居場所ができた

導入して一ヶ月。今では帰宅後の30分が、InstaChordの時間になっている。テレビを消して、好きだったあの頃の曲を数字で追う。声を出して歌う。下手でもいい。誰も聞いていない。ただ「弾けている」という事実が、こんなに気分を上げるものだとは思わなかった。

面白いのは、これを触り始めてから、押し入れのアコギをもう一度出してみたくなったことだ。数字でコード進行が体に入ったせいか、あれほど憎かったFコードにも「もう一回だけ」と手が伸びる。挫折を代わりに背負ってくれる相棒ができた、という感覚に近い。楽器そのものが嫌いだったわけじゃなかったと、20年越しに気づいた。

42,900円を「おもちゃにしては高い」と見るか、「一生モノの趣味の入口」と見るか。個人的には後者だった。安価な入門ギターを買って半年で埃をかぶらせた過去を思えば、これは"銭失い"の逆をいく買い物だったと思っている。楽器に一度でも挫折したことのある大人にこそ、静かに勧めたい一台だ。

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